見ちゃいけない映画だった
まず当記事を読む上での注意事項について書いて行きたい。
ジョーカーという映画のあらすじとか、話の流れとかは当記事では一切解説しない。
そんなのは有名ブログが良くやっている事からだ。
当ブログでは、貯金もない貧困層にあたる僕が私見やネタバレ全開で感想を書く記事だ。
興味ない人や映画を見てはいない人には一切オススメしないので注意してください。
それでは感想を書いていく。
簡単に言えば見てはいけない映画だった。
見てはいけないとはどういう意味か?それは見ていて非常に心が痛む作品だったからだ。
周りに理解されないジョーカー、理解したと思っていた人間に裏切られる悲しみ。
そして終盤にはネットで言う所の「無敵の人」このような状態になって、暴力と笑いを提供している。
このような悪役に落ちていく過程を見ると、僕は決まってこう思ってしまう。
「こんな殺人鬼になってしまうのはしょうがないよね」と。
上記の考えは普通では考えてはいけない考え方だ。
世間では絶対に公開してはいけない考え方。表明した瞬間に周りの人からは、「病院へ行ってもいい」と言われてしまうようなものだ。
しかし、ジョーカーが落ちていく過程を見ると、僕は強く思ってしまう。彼が悪い部分は勿論あるのだろうけど、何が悪いのだろうか?と。
こんな絶望的な状況に追い込まれてしまっては、好き勝手やってもしょうがないのでは?と。
だからこその見てはいけない作品だと思ったし、心に残る作品だった。
さて、このような感想だけではブログの内容が薄くなってしまうので、次に僕が映画を見てて、特に驚いた2点のポイントについて語っていきたい。
殺人するの早すぎじゃね?
まず、驚いたポイント一点目だ。人やるのの早すぎない?
僕の事前調査で、この作品は事前にジョーカーという怪物のような存在が誕生する映画だと知っていた。
だから人を殺す場面を描写するとは思っていたが、いかんせんそれは早すぎた。
個人的な予想では、序盤から市長が重要なキャラクターとして描写されていたので、物語の終盤に市長を殺してジョーカーが誕生するもんだと思ってた。
しかし、その考えは裏切られて映画が始まってから僅か30分程で電車で絡まれた3人組に発砲したのだ。
なんか電車内の電気がチカチカして怪しい雰囲気だなと僕も思ったのだが、まさかそのまま殺すなんてマジで驚いた。
しかもジョーカーさん、殺人した事についてはあまり動揺していない。
普通の作品では人を殺した事にもっと葛藤があっていいはずだ。しかし、ジョーカーにはそれが無かった。
ジョーカー自身もセリフで「すっきりした」と言うセリフが聞かれた。
恐らくジョーカーにとって心の痛さは、人に理解されない悲しみ>人を傷つける事によって生じる悲しみ というように自分の痛みを最優先で考えるものみたいだ。
だからこそ、終盤の「喜劇」のセリフに繋がってくる。
さて、ここで疑問なのはジョーカーは最初から人を殺害出来る程の人間だったかどうかだ。
参考になるのは映画の冒頭シーンだ。最初にジョーカーは看板を盗まれて暴行されている。
3人組に暴行されたのと違う部分はどこだ?それは「拳銃」を持っているかどうかだ。
圧倒的暴力の源、拳銃。これがジョーカーを人殺しに変えた瞬間だろう。
勿論、直後のシーンにある通り、「世間の目」という物も人殺しに変えた要因かもしれない。
障害のカードを渡せなかった事、会社をクビになった事などなど。
しかし、ジョーカーは最初から世間に認められない状況で、日記や拳銃を家でぶっ放すように殺人への純粋な興味はあった描写がある。
ここからジョーカーは元から世間から認められなくて、世間に対する殺意を持った人間である事が伺える。
それを実行に移した魔法のアイテムが拳銃なのであろう。
だからこそ、拳銃を手にしたタイミングでジョーカーは殺人可能となるので早すぎる殺人シーンに繋がったのだろう。
これには驚いた。終盤に市長がモブに殺されたのも驚いたけど。
母ちゃんの嘘、本当
驚いたシーン2つ目は母親だ。
僕は「母親が死んじゃって、ジョーカーを止められる奴がいなくなるんだろうなー」
て考えていたのですが、まさか母親がジョーカーの引き金を引く事になるなんて思ってませんでした。
「ハッピー」と呼びジョーカーのコメディアン夢の元となった事、そもそも幼少時の虐待がジョーカーの障害を引き起こしたんじゃないかって思う位、ジョーカーの人生を喜劇にしています。
ジョーカーを作り出した存在といっても過言ではないです。
あと最初は母ちゃんが精神病だった下りもジョーカーの妄想だったのではないか?と考えたのですが、市長候補との会話や病院の事務員との会話がジョーカーにとって認めたくない現実を叩きつけてるので妄想ではないと感じました。
明確に妄想と描写されているのは彼女が幻だった所ですからね。
ジョーカーにとって都合がいい物=妄想と過程した時、母ちゃんの精神病はジョーカーにとって認めたくない現実です。
もし母ちゃんが精神病じゃなかったとしたら、ジョーカーは自分の苦境をも妄想している訳だからコメディアンよりも脚本家になる事をオススメしたいです。
まあー市長候補との会話や病院事務のシーン、どっちも警備がザルすぎるので妄想と言われても仕方ないかもしれませんがWWW
次は僕が映画を見ていて気になった事について書いて行く。
あの小さい人の感想と僕の自分語り
今作にはジョーカーとは正反対に位置する人物が一人います。
あの小柄な人です。
彼はジョーカーと同じでバカにされる存在で、身体的な障害もあります。
しかし、ジョーカーに対してただ一人の優しい人物でありました。
終盤でジョーカーは「誰も他人の事を気にかけない」と発言していますが、彼だけは見舞いに来てくれたりとジョーカーの事を気にかけてます。
多分ジョーカーも彼のような存在がいるのはわかっているのでしょう。だからこその終盤の「喜劇」発言なのかもしれません。
最後に自分語りです。
僕はジョーカーのように貧困の底辺です。ジョーカーと違って夢もありません。
ジョーカーは底辺でも親の介護をしながら夢であるコメディアンになる為に積極的にノートを取ったりと勤勉です。
同じ底辺でもここまで違うもんかと思いました。
さらにバカにされる見世物としてでも、目標だったテレビ出演も果たしています。
本人にとってはもうどうでもいい事だったようですが、当初掲げてた目標を達成して、「想像通りだ」なんてセリフを吐けるのは僕には凄くカッコよく映りました。
この映画を見ていて一番印象に残ったのはそこで、殺人を犯した後でもステージに出てチャンスを掴み番組に出るという鋼のメンタルを持ったジョーカーは凄いです。
僕だったら殺人を犯した段階で自分でやった罪に悩み、冷蔵庫から一歩もでなくなっていたでしょう。
同じ貧困層でも僕は無敵の人にはなれなそうです。銃もありませんしね。
最後に福祉職をやってた僕だから引っかかる事を書きます。
ジョーカーと薬
あとひとつ個人的に気になった事があって、それはジョーカーの薬の件です。
時代背景が1980年代だからしょうがないのかもしれませんが、福祉サービスが潰れて薬の量の調節が難しくなるのは精神障害を持っている人は滅茶苦茶きついと思います。
僕自身、精神系の介護施設に勤めてた事があるのですが、精神障害を持っている人の薬の調節は本当にシビアです。
何件も医者を回って、その人に合った適切な量を調節しないと大変な事になります。
例えば薬の量が少なすぎると、活発的になりすぎてしまって自分の興奮状態が抑えられなくなってしまいます。
その結果犯罪行為に繋がって危険です。障害を持った人の再犯率は高いので薬の量はマジ大切。
終盤のジョーカーは薬の服用を辞めています。
これは滅茶苦茶やばいです。普段薬を7錠も飲んでいる人が一気に辞めたら、そりゃ人も殺します。
今まで薬で抑えてきたんだもん。そりゃ番組で興奮して話が止まらなくなって銃も撃っちゃうでしょ。
「そりゃ嘘だろWWW」と思う人もいると思います。あなた精神障害なめてますよ。
日本では福祉サービスは優れている方かもしれませんが、施設でも受け入れらない程暴れる人とか結構いますからね。大抵親の方はケガしてるし。
というか最終盤のジョーカーの覚醒は僕の視点からしてみれば、薬が切れてたからです。
その位精神障害はヤバイです。社会の配慮が滅茶苦茶必要です。
まとめ
以上が僕の感想となりました。
まとめると①銃を撃つの早すぎ②母ちゃんやばすぎ③小さい人可愛い④薬止めるのやばすぎ
こんな感じです。なんか忘れた頃にもう一度みたい作品だなと思いました。
ひとつの作品の中に社会に対する様々な問題提起とか、攻めてる作品だなーって感じです。
これが大ヒットするなんてまた凄い世の中ですね。